紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

海の向こうにハワイが見える(3)

 同室となった新入社員は、二人。私と同じ中央大学のS君と、S大学のS君だ。学部はそれぞれ違うけれど、なんだか心強く感じたものだ。

 そして翌日、初出勤日。松林の中にある寮を出て、ホテルへ向かう。

 ホテルは、海のそばに建っている。従業員の出入り口は、裏口だ。朝日が室内を照らす部屋には、すでにシーツやタオルを抱えたおばさん達が忙しそうに働いている。

 その向こうには、キラキラと輝く海が見える。爽やかな青い空と海が人越しに映し出され身体に力が漲る。奥へと進むと、片付けの始まっている調理場を過ぎ、事務室につながる。事務室に入るとすぐ、総務課の机があり丁寧で爽やかな声で事務のIさんが挨拶してくれ、少しばかり緊張がほぐれる。

海の向こうにハワイが見える(2)

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 「来てみれば花野の果ては海なりし」鈴木真砂女

 1979年の2月に安房鴨川に着いた。

 フェリーに乗って千葉県に渡り、外房線金谷駅前から安房鴨川行のバスに乗った。東京湾を右に見て、菱川師宣記念館のある保田から、県道34号線に入り、鴨川へ向かう道を通る。カーブの多い山間部を走るのだが、途中菜の花など春の花々が点在し目を楽しませてくれた。当時はそんなバス路線があった。持ち物は、革の鞄一つ。横浜高島屋で奮発して買ったものだ。

 鴨川グランドホテルの社員寮は松林の中にあった。道をはさんで男子寮、女子寮と分かれている。4人一部屋で、部屋に入ると二段ベットが左右に配置され奥が4畳半の居間。寮に隣接して食堂があり、食券を購入し並べられた数種類のおかずから自分の好きなものを選ぶ。毎日おいしい食事をいただいた。ここで賄いを作るおじさん、おばさんも皆とても親切な人たちだった。

 この寮で、地元以外の社員が生活を送る。別にアパートを借りるなどという選択肢はない。私は神奈川から来たが、女子は全寮制だ。東北など遠方から来る女子も多い。

 私は、世間知らずの20代。ところが、3月の入社式に臨む新入りの女子たちは、高校を出たばかりである。親元を離れ見知らぬ土地で働き出すのだ。

 ホテルは、その寮から歩いて二、三分の所にある。仕事にどっぷり浸かる生活がこれから始まる。一人故郷を旅立ち、希望と期待に胸を膨らませ、まなじりを決して…

 「青嵐月曜の貌ひき締めて」 鈴木真砂女

 月曜の朝の銀座で、出社する若いサラリーマンの姿を詠んだ句だろう。 

 寮に入った私は新しい鞄を部屋に置き、つくねんと差し込む西日を眺めていた。

海の向こうにハワイが見える ⑴

 「はたた神栄螺は蓋を閉ざしけり」 (昭和56年 真砂女)

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 はたた神を漢字で書くと、「霹靂神」となる。晴天の霹靂(へきれき)という言葉の霹靂という字である。

 はたたは、激しい雷鳴を意味する。そこら中、周囲を打ち鳴らすほどの凄まじい雷をいうようだ。

 真砂女さんが栄螺を詠んだ句として、何気なく探し出したが「いやこの『はたた神』とは、もしかしたらある人を指しているのではないか」と思い始めた。

 その人物とは、この「真砂女」の俳句旅で以前ご登場いただいた鈴木政夫氏である。現在生きていれば、95歳。千葉県鴨川市にある鴨川グランドホテルの創業者。燃えるような情熱の持ち主であった。

 栄螺さえも、その大音声、その気魄に触れれば、恐れおののき蓋を閉じてしまうだろうということを詠んだのではないか。

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 決して、単純に怖いということを言っているのではない。この人の、その人生にかけた情熱が、唯一無二のものだからであると考えるのだ。

 真砂女さんが「はたた神」と詠んだ鈴木政夫氏の生き様を知ることで、真砂女さんの人生の側面を眺めることが出来るかも知れない。 

 最後にもう一句、栄螺が真砂女さんの気持ちを詠っている。

 「望郷の栄螺貌出すそぞろ寒」 (昭和57年 真砂女)

 ※「顔」は、もと眉目の間をいい、また目つきなどをいう。

  「面」は、顔前のこと。おもてがお。

  「貌」は、かおかたち。容貌。うわべ、みえ、表面なども。

真砂女さんの食べ物の句      (サザエの巻1)

 2017年にブログを書き始めた。

 当初は、真砂女さんの俳句を分類していきたかったのに、仕事など忙しくしているうちにだいぶ脱線してしまいました。本当は、関係ないようなところは「豚次郎の隅っこ日記」に引っ越しするべきなのでしょうが、難しそうなので、この流れでやって行くことにします。そのうち整備することもできるでしょう。

 さて、真砂女さんの俳句と言えば、食べ物にまつわる句が取っ掛かりやすいのではないでしょうか。そこで集めてみることにしました。

 まず初めに、海の食べ物に関係する句などはいかがでしょう。

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 この写真は、残念ながら(?)安房鴨川のものではありません。神奈川県の葉山を過ぎ横須賀方面に向かう途中に秋谷海岸があって、ヨットハーバーで有名な佐島があって、佐島に入らずにそのまま国道を進むと浄楽寺というお寺さんがあります。その境内に至るお寺の駐車場で開かれている朝市の写真です。

 ※ちなみに浄楽寺には、近代郵便制度を整えた前島密のお墓があります。

 美味しそうなサザエやアワビや伊勢海老や烏賊など、いろいろ並べられています。ここには写ってませんが、アジの干物は小型ながら脂も乗ってとてもおいしい。

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 サザエの句と言えば、真砂女さんの句ではありませんが石田波郷という著名な俳人の作で

 「つぼやきやいの一番の隅の客」。  

 卯波の入り口を入ってすぐ左側の隅の席が、波郷のお好みの席。

 鴨川から便利屋さんで運ばれる鮮度抜群のサザエのつぼ焼きは、酒飲みには最高の肴。

 真砂女さんの句としては、 

  「栄螺の角天地をさして夏に入る」 (昭和44年夕蛍)

 サザエを詠んだ句はたくさんあると思ったが、なかなか出て来なかった。次回までにもう少し探し出せるといいのですが。

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バスを待つ間に

 「バスを待つこの道春に続く道」 (岩崎あや) 

 葉山から横須賀へ向かう海沿いの道、国道134号線。富士山も見え、楽しいドライブコースだ。長者ヶ崎や秋谷(あきや)の立石(たていし)など、海を満喫できる景勝地がある。

 葉山御用邸前から長者ヶ崎を過ぎると視界が広がり、右に海が大きく見えて来る。ある時横に座っていた妻が「ハート形のバス停があるよ」と言うので、指を差す方を見ると確かにハート形のバス停がある。

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 どうしてこのバス停だけ、こんなハート形なんだろう。近づくと、しかもただのハート形ではない。ワンピース姿の若い女性が海を向いて立っているように見えて来る。

 バス停の名前は「峯山(みねやま)」。    f:id:hk504:20210330163806j:plain

 束の間、彼女と二人でバスを待っているような気になる。

 青春時代の蠢(うごめ)きが、胸の内に湧いてくる。

 

 そういえば真砂女さんが亡くなったのは春頃だった。

 「如月のバスに潮の香真砂女逝く」 (國井みどり)

 そう、真砂女さんの命日は2003年(平成15年)3月14日だった。寒さの残る如月に追悼の気持ちが沸き上がったということか。

 秋の句ではあるが、バス停で詠んだのかと思わせる真砂女さんの句を見つけたのでご紹介しておきます。

 「いつも乗るバスの時間や秋の雲」  昭和35年真砂女)

 

 この峯山の次のバス停は「子産石」という。「こうめいし」と読むのだろうか。面白い名前で、何か言い伝えでもありそうだ。

 そのうちこの海岸沿いを歩いてみたくなった。

 

引き出しから出てきたものは

 「ふところに手紙かくして日向ぼこ」 (昭和30年鈴木真砂女     

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 実家の解体工事をすることにした。

 昭和40年に建てられた築56年の木造平屋の建物。住む人もいなくなり、床はべこべこになってしまった。

 庭には、鈴なりの実をつけた夏蜜柑の木がある。はじめは、窓の高さ位の木であったが、今は屋根の高さを越えている。この木は、残すことになった。

 「夏蜜柑いづこも遠く思はるる」  永田耕衣

 夏には木陰に隠れるように緑色の実をつけ始めているのが、11月になると黄色に色付きにぎやかな様子になるので、夏蜜柑は冬のものかと思ったら俳句では夏の季語になっている。味も12月下旬になると、えぐみが消えて美味しくなる。

 昨年の10月から片づけを始めた。

 何気なく手に取ったものをしばし眺めていると、記憶が蘇って来る。この食器はよく使っていたなとか、一番いけないのは本と写真だった。本をめくると、茶色く変色したページから古びた紙の匂いと共に、本を読んだ当時のことが思い出され感慨にふける。

 写真はさらにいけない。「あの頃の妹は、こんなに可愛かったんだ」

 アルバムをめくり出す。

 当時そんなことは露ほども思わなかったのに、今になって気がつくのかと悔やむ。

 

 妻の声がする。「これラブレターじゃないの?」

 少し慌てて、妻のところに行く。妻の手には、紙の色が変わった数通の手紙。

 恐る恐る、何でもないような顔をして手紙に書かれた名前を見る。

 ああ、あの子だ。確か高校から大学時代に「付き合っていた」子だ。付き合っていたと言っても、美術展に行くとか、食事をするとかせいぜいその程度のものだったと思う。

 文通もしていたようだ。手紙をやりとりしていたことが文面に書かれていた。

 一番ホッとしたのは、「君が好きだ」とか「恋している」とか、そのような類のことが書かれていないようだったこと。

 妻も私に声をかける前に少し読んだかもしれない。

 秋の頃書かれた彼女からの手紙に、草野心平の「秋の夜の会話」という詩が記されていた。

 「さむいね。

  ああさむいね。

  虫がないてるね。

  ああ虫がないてるね。

  もうすぐ土の中だね。

  土の中はいやだね。

  痩せたね。

  君もずいぶん痩せたね。

  どこがこんなに切ないんだろうね。

  腹だろうかね。

  腹とったら死ぬだろうね。

  死にたかあないね。

  さむいね。

  ああ虫がないてるね。」

 『読み終えた途端、心に何かが侵入した思いがしました。私の今の心境がこれに共鳴したのかもしれません。「さむいね」と言ったら「ああさむいね」と、「虫がないてるね」と言ったら「ああ虫がないてるね」と、言葉を吐いた瞬間に即応え返してくれる響きを求めているからかも知れません。詩を読み終えるや否やのうちにジーンと感じるものがありました』と、手紙に書いた彼女は今どうしているだろう。

 それにしても、ヒヤヒヤしたね~

 ヒヤヒヤしたね~

 思わず顔が熱くなったね~

 なったね~

 どこにいるかな~ 元気にしているといいな~

 

 

浮気の代償②

  「夫を捨て家捨てて鯵叩きけり」 (平成7年鈴木真砂女 

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 豆電球が灯る薄暗がりの部屋に、膝頭をそろえ三つ指をついた母が頭を下げしばらく動かなかった。私は、ぼんやりと母の膝を見ていた。母は泣いているようだった。

 何が起きているのか理解が出来なかった。ただただ、母が私に「ごめんね。」と、詫びている言葉を聞いていた。

 その夜、母は家を出て行った。

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 S君に「久しぶりにツーリングしないか」と声をかけられ、宮ケ瀬湖へバイクを走らせた。バイクの排気音を響かせながら新緑の中を走り抜けるのは爽快だった。

 湖を見晴らす公園のベンチに腰掛けながら、S君は話し始めた。

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 … その時私はどうしたのか全く記憶がない。5歳離れた妹がいたはずだが、彼女がどうしていたのかさえ思い出せずに30年以上私の胸の奥に仕舞い込まれている。

 私の母は不倫をして家を出て行った。相手は下宿人だった。

 私の小さな家に、大学に通う若い男が下宿人として入った。父は、職場で問題を起こし遠方に飛ばされ不在。家には、母と私と妹の3人だけ。

 そんな状況で、若くて美人の母と下宿人が出来上がってしまうことは、当然の成り行きではないか。

 ある夜、母の夕食の支度が進まず私は腹を空かせていた。母と下宿人は家の中の一室に籠ったまま出てこない。何をしているのだろうと、だんだん腹が立ってきた私は、電気釜に入っていた炊き立てのご飯を釜から搔き出し台所中にぶちまけた。

 皿や茶碗までそこら中に投げつけると自分の部屋に戻りベッドの中にもぐりこんだ。すると、物音でようやく部屋から出てきた下宿人が台所の様子を見て、「わー何をやったんだ。」と大声を上げた。 

 下宿人は私の部屋に来ると、「お前、何やったんだ!」と私の布団を引っ掴んではがそうとした。私は必死に抵抗し、もみくちゃになりかけたところで、母の「もうやめて!」という悲鳴で、彼は私の部屋から出て行った。 …

 もう遠い昔の話しのはずが、つい最近起こったことのようでもある。S君は誰にも話さず、一人でじっと心に抱えたまま今まで生きてきた。        

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 「とほのくは愛のみならず夕蛍」  (昭和50年鈴木真砂女

 

 だけど、あなたの後ろの暗がりにね

 さまよっている子どもがいるんだよ

 あなたが振り返るのを、

 じっと待っている子どもがいるんだよ

 ずっと、

 あなたが声をかけてくれるのを

 待っている子どもがいるんだよ。