紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

ジオサイト中木へ(3)

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  ※あいあい岬にある「南伊豆ジオパークビジターセンター」(0558-65-1155)では、伊豆半島の成り立ちを説明してくれる。ジオ菓子なども販売しており、土産物として面白い。 

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 あいあい岬から眺める奥石廊崎。よく撮影される場所だ。この右奥にこれから訪れる中木港がある。
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  あいあい岬の下側には、知る人ぞ知るヒリゾ浜。中木港から渡船で5分くらいで行ける(夏期のみ)。数々のサンゴ、豊富な魚群、透き通った水。
 真砂女さんが、海老漁に同船した場所はこの辺なのだろうか。
 この日はあいにくの曇り空だったが、それでも水のきれいな感じが確認できた。
 どこか非日常の景色を眺めて、伊豆のどん詰まりに来たなという思いに駆られる。 
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 中木港。左右に堤防が見えるが、これは昭和49年5月5日に発生した伊豆半島地震のあと建設された。
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 堤防が作られていない時、こんな風景が浜辺から見えたのかも(堤防の上から撮影)。
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 中木のバス停。もともと「仲木」と書いていたのが、地震後の混乱で「中木」という表記に変わった。
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 バスの本数が、きわめて少ない。早朝出かけたら、帰るのは夕方になりそうだ。
 車が必需品である。民宿の女将さんも軽トラックがないと買い物に行けないと言っていた。朝7時前小学生が一人、バスに乗り込んで行った。どこの小学校に行くのだろう。 
 死者29人の被害をもたらした地震災害。復興対策として3階建てのマンションが出来たが今は空き家が多いらしい。家賃月1万5千円はとても格安だが、どうやって生計をたてるのか。年金だけで生活できるだろうか…
 真砂女さんは、この辺鄙な「仲木」の民宿上根を利用していた。
 当初何故この地が気に入ったのか知りたいという思いがあり、私は是非同じ民宿に泊まりたいと思ったので探した。
 観光協会に「俳人鈴木真砂女さんが昔よく中木に泊まって俳句もたくさん作っているんですよ」と問い合わせると「その名称の民宿は協会員の中にはいない」という答え。上根の電話番号を見つけたのでかけてみたが、現在は使われていないというアナウンス。私は探すのをあきらめた。
 今回宿泊することにした「殿羽根(ドンバネ)」さんの女将さんに予約の際、事情を説明してみると、「上根」はすでに14、5年前に廃業しているということがわかった。しかし、おばあちゃんは健在なので案内してあげると言っていただけた。
 現地に着くと「上根」はすぐにあっさりと見つかった。殿羽根さんの近所だ。 
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  真砂女さんがひいきにした民宿「上根」。道路際にあり、海がすぐそば。しかし正面玄関はぴったり閉められていて人の気配がない。入口もわからない。
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 殿羽根さんもこの並びで数軒先にある。殿羽根の女将さんが、仕事そっちのけで「連れて行ってあげよう」と案内してくれる。ガラガラと上根の左奥にある門を開けて入って行く。声をかけて家に不在とわかると隣の民宿(上根のお子さん経営)で尋ねる。畑に行っているらしい。「それじゃこっちに来て」と山の方にずんずん歩いて行く。 
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 案外中木というところは、奥が深い。狭い谷あいに畑があって野菜がたくさん栽培されている。殿羽根の女将さんは、上根のおばあちゃんがなかなか見つからないので、私たちをおいて声を出しながらさらに奥へ早足で探しに行った。そして… 
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 こちらを少し振り返っている方が、かつて民宿上根を経営されていた女将さんで「FT」さんである。93才くらいと聞いたが、お元気で足取りもしっかり。
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 近所の人と世間話しをしながら、民宿に帰っていると「殿羽根さん、お客さんが着いて待っているよ」の声で殿羽根の女将さんは慌てて戻って行った。
 そばの川では小さな魚が群れを作ってぴちぴちと、元気よく泳いでいた。