紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

ジオサイト中木へ(4)

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 中木港にある柱状節理の岩山。美しい紋様を描いている。
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 昨年の台風で防波堤に至る通路の橋が二か所とも流されて、復旧されていない。トガイ浜にも行けないが、この夏ごろには通れるようになるらしい。
 さてFTさんは「家に行きましょう」と、私達を案内する。私達が何者かとか何の用件で来たのかも知ろうとしない様子。
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 「どうぞどうぞ」と玄関を開けて上がるようすすめられるまま、靴を脱いだ。民宿としての玄関は道路側に面していたのだろう。「中央ホール」に入ってくるまでの間に二部屋位あるようだ。2階もある。
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 横に2階に上がる狭い階段がある。この写真の左わきには、三部屋あって多人数での宴会も出来るとのこと。結構大きな民宿だ。
 ご主人は83才で亡くなられた。もう商売をやめて14、5年位になる。
 FTさんは、真砂女さんのことは最初わからなかったが、持参した写真を見せると思い出され「おきれいで上品な方だった。」と言う。
 私が上根について書かれている文章を読み上げると、照れくさそうに笑われた。
 『民宿上根さんとは20年来のつきあいである。主人が舟を持っていて伊勢海老の漁期には海老漁を、期間外には魚、鮑などで暮らしをたてていて夫婦ともこの上もない好人物である。』
 「そんなことが書いてあるのかね。」感心した様子。
 私は、「ここ仲木を詠んだ俳句がたくさんあるんですよ」と言った。
 「海老網に暁遠き秋の闇」
 「露寒や死ねと囁く夜の汐」 (昭和42年真砂女)
 真夜中の海老漁を見たくなった真砂女さんが、頼み込んで同船したときの句だろう。
 中木の恐ろしげな夜の海の様子が伝わってくる。
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 昭和49年(1974)伊豆半島地震の発生七日前、真砂女さんは卯波吟行会で仲間10名と上根を訪れた。
 宴会場となる部屋の内庭に一本の杉の木。(たぶん杉の木)もう40年も前のことだから、この木があったとしてもそんなに大きくはなかったろう。
 宴会でカラオケが始まって、恋の歌が続くうち真砂女さんは感極まって泣いてしまう。真砂女さんの大好きだった歌。
 『北の蛍』  歌:森進一 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし
 山が泣く 風が泣く 少し遅れて 雪が泣く 女いつ泣く 灯影が揺れて
 白い躰が とける頃
 もしも私が死んだなら 胸の乳房をつき破り 赤い蛍が 翔ぶでしょう
 ホーホー 蛍翔んで行け 恋しい男の胸へ行け
 ホーホー 蛍翔んで行け 怨みを忘れて 燃えて行け
 雪が舞う 鳥が舞う 一つはぐれて 夢が舞う 女いつ舞う思いをとげて
 赤いいのちがつきる時
 たとえ遠くにはなれても 肌の匂いを追いながら 恋の蛍が翔ぶでしょう
 ホーホー 蛍翔んで行け 恋しい男の胸へ行け
 ホーホー 蛍翔んで行け 怨みを忘れて 燃えて行け
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 「火蛾舞へりよき襟あしをもてる人」(昭和24年真砂女)
 ※前回伊豆半島地震についての記載で間違いがありましたので訂正します。
  正しくは、発生日:昭和49年(1974)5月9日8時33分 死者30名 負傷者102名
  震源 石廊崎沖5㌔ 震源の深さ9㌔ マグニチュード6.9 (Wikipediaより)