築地場外魚河岸の今
アガパンサスの花。愛の花とも。
形の良い細長い葉っぱの流れが印象的。
花言葉は「恋の訪れ」「ラブレター」など。ちょうど今が盛りか。
「白玉や愛す人にも嘘ついて」(昭和44年 鈴木真砂女)
冷えた白玉ぜんざいを口に運んだ時、ちょうど恋人からの電話。でもちょっとこれを食べ終わってからと思ったので、「今手が離せないの、あとで折り返すね。」と返事をして電話を切った…というような状況だったのでは。
梅雨明けが待ち遠しくなってきた先日、築地に行ってみた。
この日は、がらがらで外国人観光客の姿が目立つ程度。
これはまだ移転前の場内の様子で、箱を背負って歩く仲買人さんや荷を積んだターレが颯爽と場内を走っている。
現在の場外の様子。午後5時に近いので、店じまいしたところが多い。
「買い出しの日の夏帯を小さく結び」(昭和43年 真砂女)
真砂女さんが、買い出しに行った店が残ってないだろうかと探した。野菜や果物を売っていたつまやの藤本商店、鮪仲卸のヨモ七である。
当時のヨモ七の社長のお母さんでとみ女さんという方は、真砂女さんの俳句仲間だったそうである。昭和43年というと、真砂女さんは62才。
ぐるぐる細い通りまで歩き回ったが、二つの店とも見つからなかった。豊洲に移転したのかも知れないし、廃業したのかも知れない。ずいぶん時代は変わったから。
しかし、静かに変わらないものもある。
波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)である。創建は1659年(万治年間)。当時築地の埋め立て工事が行われていた。社殿を建て海で発見されたご神体を祀ったところ、荒波は収まり工事が順調に進捗したという。
航海安全、災難除け、厄除けなどで信仰を集める神社。こじんまりとした境内に入ると、社殿などの他、玉子塚、すし塚、海老塚、鮟鱇塚、活魚塚、昆布塚、蛤石やおきつね様が祭られている。
「築地宮川土用丑の日迎へけり」 (昭和57年真砂女)
家族連れらしい外国人観光客が、塚の前で体を休めるように座り込んでいた。
玉子塚、昆布塚やおきつね様などは、外国人には思い及ばない日本独特の光景だろう。
真砂女さんが生きた時代から、築地は大きく変貌した。しかし大切なものは今も息づきこの地に続いているのを見た。
大切なもの、それは伝統。日本人の心の底に流れ引き継がれてきた、自然への「畏敬」という気持ちだ。