紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

引き出しから出てきたものは

 「ふところに手紙かくして日向ぼこ」 (昭和30年鈴木真砂女     

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 実家の解体工事をすることにした。

 昭和40年に建てられた築56年の木造平屋の建物。住む人もいなくなり、床はべこべこになってしまった。

 庭には、鈴なりの実をつけた夏蜜柑の木がある。はじめは、窓の高さ位の木であったが、今は屋根の高さを越えている。この木は、残すことになった。

 「夏蜜柑いづこも遠く思はるる」  永田耕衣

 夏には木陰に隠れるように緑色の実をつけ始めているのが、11月になると黄色に色付きにぎやかな様子になるので、夏蜜柑は冬のものかと思ったら俳句では夏の季語になっている。味も12月下旬になると、えぐみが消えて美味しくなる。

 昨年の10月から片づけを始めた。

 何気なく手に取ったものをしばし眺めていると、記憶が蘇って来る。この食器はよく使っていたなとか、一番いけないのは本と写真だった。本をめくると、茶色く変色したページから古びた紙の匂いと共に、本を読んだ当時のことが思い出され感慨にふける。

 写真はさらにいけない。「あの頃の妹は、こんなに可愛かったんだ」

 アルバムをめくり出す。

 当時そんなことは露ほども思わなかったのに、今になって気がつくのかと悔やむ。

 

 妻の声がする。「これラブレターじゃないの?」

 少し慌てて、妻のところに行く。妻の手には、紙の色が変わった数通の手紙。

 恐る恐る、何でもないような顔をして手紙に書かれた名前を見る。

 ああ、あの子だ。確か高校から大学時代に「付き合っていた」子だ。付き合っていたと言っても、美術展に行くとか、食事をするとかせいぜいその程度のものだったと思う。

 文通もしていたようだ。手紙をやりとりしていたことが文面に書かれていた。

 一番ホッとしたのは、「君が好きだ」とか「恋している」とか、そのような類のことが書かれていないようだったこと。

 妻も私に声をかける前に少し読んだかもしれない。

 秋の頃書かれた彼女からの手紙に、草野心平の「秋の夜の会話」という詩が記されていた。

 「さむいね。

  ああさむいね。

  虫がないてるね。

  ああ虫がないてるね。

  もうすぐ土の中だね。

  土の中はいやだね。

  痩せたね。

  君もずいぶん痩せたね。

  どこがこんなに切ないんだろうね。

  腹だろうかね。

  腹とったら死ぬだろうね。

  死にたかあないね。

  さむいね。

  ああ虫がないてるね。」

 『読み終えた途端、心に何かが侵入した思いがしました。私の今の心境がこれに共鳴したのかもしれません。「さむいね」と言ったら「ああさむいね」と、「虫がないてるね」と言ったら「ああ虫がないてるね」と、言葉を吐いた瞬間に即応え返してくれる響きを求めているからかも知れません。詩を読み終えるや否やのうちにジーンと感じるものがありました』と、手紙に書いた彼女は今どうしているだろう。

 それにしても、ヒヤヒヤしたね~

 ヒヤヒヤしたね~

 思わず顔が熱くなったね~

 なったね~

 どこにいるかな~ 元気にしているといいな~