卯波引いた道(3)
朝の6時23分東京浜松町バスセンターを、安房鴨川行き高速バス「アクシー号」は出発した。1月中旬のことで空はまだ暗かった。
走り始めて2時間半、バスは安房鴨川駅西口に到着。太陽がまぶしかった。気温は1℃。
駅前の通りを旧吉田屋の方に歩いて行く途中に蛇の目寿司さんがあった。
そのまま旅館吉田屋があった場所を目指す。そこはすでに15階建てのマンションになっていたが、看板の裏側に昭和天皇や皇太子が宿泊された旨の記載がある。
旧吉田屋を離れ、足を速めると日本の渚百選「前原海岸」がお出迎えしてくれた。
「冬の波いまわれのみに寄するかな」(真砂女)
小さな波が、ゆっくり穏やかに広い浜に寄せていた。
足あとがほとんどない広い砂浜。右手前の建物が、旧吉田屋跡に建ったマンションである。
目を転じると、写真中央には、鴨川グランドホテルが見え、横に鴨川グランドタワー。真砂女さんゆかりのホテル。
この鴨川グランドホテルの太平洋を臨む庭に、真砂女さんの句碑が立っている。
昭和35年に、真砂女さんが東京会館の句会を指導していた縁で建立された。除幕式では、当時10歳だったお孫さんが引いた。このお孫さんは、下駄の脱ぎ方まで似ていると言われたくらい、真砂女さんによく似ている方だそうである。
「初凪(はつなぎ)やものゝこほらぬ国に住み」(昭和29年真砂女)
真砂女さんの言葉によれば、房総の駘蕩とした新春を詠んだもので、当初この句は「凍らぬ」としていたが、久保田万太郎先生が「こほらぬ」と直したそうである。
卯波 引いた道(2)
は、かつて「卯波」の所在地であった。
この地に、昭和32年(1957)3月30日50歳の真砂女さんは小料理「卯波」を開店させた。
真砂女さんは、藍より紺が似合う。
紺の着物は真砂女さんのユニフォーム。きりっと背筋が伸びた立ち居振る舞い。機敏な動きで店の中を動き回る。
そんな生活の中で、気品を感じる句の数々を作った。
「幸(しあはせ)は逃げてゆくもの紺浴衣」
この思いを胸に、真砂女さんは働いた。午前一時頃店が終って銭湯に駆けつけると、番頭さんが桶を片付け始めているということが毎晩だったという。
その銭湯は、現在では想像もつかないが和光のうしろにあったそうだ。
・・・筆者は、銀座に銭湯がないか探したことがある。
昭和通りから銀座寄りに一本入った通りに「銀座湯」(銀座1-12)がある。
深夜の「卯波」からは、少し遠い。
「水打って路地には路地の仁義あり」
真砂女さんが愛した路地は、どこに行ったのだろう。はるか昔に無くなって…今は高級なお店が入るビルばかり。
『並木通り一丁目、お稲荷さんの路地で魚屋の隣り』。「銀座に生きる」にはそう書かれている。
幸稲荷 (さいわいいなり)
太刀売稲荷とも。 銀座札所一番。
ビルの谷間にあって窮屈そうなお社に、筆者のわずかな滞在中も、おしゃれな銀座の中年紳士や若い女性が入れ替わりに手を合わせていた。
かつて、この脇に銀杏の木もあったというが跡形もなく、このお稲荷さんが唯一「卯波」を偲ばせる痕跡である。
大好きな鴨川を去ったのは、恋に生きた結果だったから?。
真砂女さんが人生をかけた「卯波」は、路地と一緒に無くなった。
「今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ)」
残っているのは、俳句。こんな句をたくさん残された真砂女さんは、潔い人生を送った人だと思う。
卯波引いた道(1)
朝の銀座4丁目バス停。
築地で買い出しを済ませた真砂女さんは、ここでバスを降り、いつものように店の方に歩いて行った。
松屋の前にさしかかる。
紙袋には烏賊が十杯。ところが水気と重さで紙が破け新鮮な烏賊が
「ゾロリ」と舗道にばら撒かれてしまった。
一瞬逃げ出したい気持ちになった真砂女さん。しかし気を取り直し、着物の汚れなど頓着せず、夢中になって烏賊を全部片づけた。
「秋風や烏賊十ぱいの重さ提げ」
意外に重たかった。
新鮮な烏賊刺しをお客さんに食べてもらいたいと思ったのだろう。
ビニール袋はなかったが、十杯くらい大丈夫と紙袋に入れた。
その日『卯波』で出された烏賊の糸づくりは、格別のうまさだったに違いない。
真砂女さんの女将魂をみる。
昭和49年(1974)の作。真砂女さん68才。
この年の1月真砂女さんは南太平洋へ旅している。南の海に、真砂女さんの華やかな笑顔が咲いたことだろう。
昭和48年の句 「花冷えや 烏賊のさしみの 糸づくり」
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私が持っているのは、平成10年11月初版の文庫本。
この本は、千葉県房総の名門旅館に生まれスズメとあだ名された幼少時代から、故郷鴨川を出て東京銀座に「卯波」という小料理屋を出し、銀座での生活や旅のことなどを自作の俳句とともに綴った随筆です。
「銀座に生きる」に描かれた銀座を見つけてみよう。そんな気持ちで書き始めましたが、今や、真砂女さんの生きた銀座は激変しました。何もかも。
変わらないもの、ずっと後世に残る真砂女さんの俳句を通じて、変わらない何かを探して行きましょう。「真砂女」の俳句旅です。
真砂女さんは平成15年3月96才の生涯を閉じられましたが、私は真砂女さんの俳句に触れるうちに、きっと幸せな生涯を送られたのだろうという思いを強くしました。
「曼殊沙華もろ手をあげて故郷たり」 (平成7年真砂女)
仁右衛門島の句碑から鴨川グランドホテルと鴨川グランドタワーを望む(中央)