紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

浮気の代償②

  「夫を捨て家捨てて鯵叩きけり」 (平成7年鈴木真砂女 

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 豆電球が灯る薄暗がりの部屋に、膝頭をそろえ三つ指をついた母が頭を下げしばらく動かなかった。私は、ぼんやりと母の膝を見ていた。母は泣いているようだった。

 何が起きているのか理解が出来なかった。ただただ、母が私に「ごめんね。」と、詫びている言葉を聞いていた。

 その夜、母は家を出て行った。

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 … S君に「久しぶりにツーリングしないか」と声をかけられ、宮ケ瀬湖へバイクを走らせた。バイクの排気音を響かせながら新緑の中を走り抜けるのは爽快だった。

 湖を見晴らす公園のベンチに腰掛けながら、S君は話し始めた。

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 … その時私はどうしたのか全く記憶がない。5歳離れた妹がいたはずだが、彼女がどうしていたのかさえ思い出せずに30年以上私の胸の奥に仕舞い込まれている。

 私の母は不倫をして家を出て行った。相手は下宿人だった。

 私の小さな家に、大学に通う若い男が下宿人として入った。父は、職場で問題を起こし遠方に飛ばされ不在。家には、母と私と妹の3人だけ。

 そんな状況で、若くて美人の母と下宿人が出来上がってしまうことは、当然の成り行きではないか。

 ある夜、母の夕食の支度が進まず私は腹を空かせていた。母と下宿人は家の中の一室に籠ったまま出てこない。何をしているのだろうと、だんだん腹が立ってきた私は、電気釜に入っていた炊き立てのご飯を釜から搔き出し台所中にぶちまけた。

 皿や茶碗までそこら中に投げつけると自分の部屋に戻りベッドの中にもぐりこんだ。すると、物音でようやく部屋から出てきた下宿人が台所の様子を見て、「わー何をやったんだ。」と大声を上げた。 

 下宿人は私の部屋に来ると、「お前、何やったんだ!」と私の布団を引っ掴んではがそうとした。私は必死に抵抗し、もみくちゃになりかけたところで、母の「もうやめて!」という悲鳴で、彼は私の部屋から出て行った。 …

 もう遠い昔の話しのはずが、つい最近起こったことのようでもある。S君は誰にも話さず、一人でじっと心に抱えたまま今まで生きてきた。        

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 「とほのくは愛のみならず夕蛍」  (昭和50年鈴木真砂女

 残ったのは、孤独な中学生の自分。 

浮気の代償①

 「羅(うすもの)や人悲します恋をして」  (昭和29年鈴木真砂女  

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 黄色の薔薇が咲き始めた。その花言葉は「嫉妬」。

 久しぶりに会ったS君は、やや元気がなさそうに見えた。いつも快活な男だ。彼は、テーブルに写真を並べた。

 「どう思います?」。

 一枚の写真は、誕生日ケーキを前に頬を男の方に傾け体を寄せ合って、微笑む女性の姿。その横には同じように女性の方に体を傾けて満足げににっこりする男の姿。

 それは仲の良い夫婦が妻の誕生日を祝う記念写真のようだった。

 しかし、幸せそうに微笑む女性はS君の奥様で、横にいる男性は奥様の妹の御主人だった。 

 私はその写真を観て、この二人はデキてるなと、直感的に思ったのだが、それはS君を前にとても言えなかった。

 「羅や細腰にして不逞なり」  (昭和31年鈴木真砂女

 「それで女房にこの写真のことを聞いてみました。

 彼女が言うには、彼には特別何の感情もなく、ケーキを買ってもらいお祝いしてくれたので記念に撮った。周りに人もいたし。

 でも、私の不注意だったかもと言うのです。」

 「しかし、どうやったらこんな親密な写真を撮ることが出来るんでしょうか。仮に私が女房の妹さんとツーショットの写真を撮っても、いくら親しいとは言えこんな寄り添った写真は撮りませんよ。」と、S君は無念そうに続けた。

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 「君は仕事があったので、奥さんの誕生祝いをすることが出来なかったと言うが、電話やメールでおめでとう位は伝えたのか?

 結婚前はどんなに忙しくても、時間を作ってお祝いしていただろう?」

 白粉花やをんなはときに二ごゝろ」 (昭和43年鈴木真砂女

 「奥さんを大事にしないと、他の男に持って行かれるぞ。君がいなくて、奥さんはきっと寂しかったんだよ。」 

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 S君を見送りながら散歩していると、空き地にシロツメクサが咲いていた。

 花言葉は一般的には「think of me(私を思って)」「幸せ、約束」だが、「復讐」という言葉もある。

 「白桃に人刺すごとく刃を入れて」 (昭和40年鈴木真砂女

 S君は、人を刺したいという衝動にかられただろうか。

 最初奥さんは、妹の夫という気安さから気の置けない友達のように付き合っていて、本当に恋心などなかったのかも知れない。

 しかし彼は、妹の夫というだけで血の繋がった兄弟という訳ではない。結局他人である。

 そこには越えてはならない一線、距離感があるはず。親しき中にも礼儀あり。

 他人がそれをわきまえずに家族や夫婦間で認められる「密接距離(※)」に入り込むと、恨みを買うことになる。

 

 

 (※)アメリカの文化人類学者ホールが用いた「ソーシャルディスタンス」、訳して「社会距離」。人と人が接触する時の距離の取り方を分類したもの。①密接距離は、0~45㌢程度で家族や恋人など最も親密な間柄でみられ、身体接触が可能な距離。②個体距離は、45㌢~120㌢程度で親友との立ち話で握手が出来る距離。③社会距離は、120㌢~360㌢程度で上司やビジネスの場での距離で手を伸ばしても相手に届かない。④公衆距離は、360㌢程度以上で講演会での話者と聴衆など公の場で取られる距離。以上4形態。この解説文は、2020年5月15日付産経新聞掲載清湖口敏氏執筆の記事「言葉のひと解きー社会的距離」より抜粋しました。   

久しぶりの休日は寝転んで

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 シクラメン人を恋ふ夜の眉蒼し」(昭和41年「夏帯」鈴木真砂女
 

 人手不足で仕事が忙しく、2週間休みなしで働いた。

 前期高齢者には、当初どうなることかと不安があったが、足腰の張りを覚えた程度で乗り切った。それでもようやくという感じであり、やはり1週間に2日は休みたい。

 軽い肉体労働であっても、疲れがたまると気持ちにゆとりがなくなる。焦る。これが事故の元になる。ちょっとしたことにイライラする。

 世の中には、イライラした人がたくさんいる。なかなか休めない人が多いのだろうか。不満の塊が歩いているようなものだが、他人に当たらないでもらいたいものだ。

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 家のベランダに置いたシクラメン(春の季語)の小さな花を見て、ホッと一息つく。 花言葉は、「憧れ」「内気」「はにかみ」。

 さてこのブログはyahooブログからスタートしましたが、yahooブログのサービスが12月に終了するというので、8月から「はてなブログ」に移行しております。

 こんなつたないブログではありますが、今後ともご愛顧、お励ましいただけますようよろしくお願い申し上げます。

 検索は、『紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅はてなブログ』でたどり着けるはずです。お手数をおかけしますが探してみて下さい。

 また同様に、『紅の豚次郎隅っこ日記はてなブログ』もご覧いただければ幸いです。

                            令和元年11月3日 紅の豚次郎拝 

残暑を乗り切る

 立秋はとっくに過ぎて、俳句の季語も秋に変わっているものの、暑さは続く。

 この暑さの中、飼っている白目高は、親が二匹とも死んでしまった。最初に餌を食べなくなったメスが死に、それから一月も経たないうちにオスが死んだ。しかし子供たちは元気一杯。20数匹の子目高はピッピッ、ピッピッと、火鉢や備前焼の鉢の中を泳いでいる。

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 さて、真砂女さんの句に夏の食べ物、冷奴を詠んだものがいくつあるか数えてみたら、六句あるようだ。それを今回はご紹介したい。

 まず昭和55年の句。

 「冷奴いつも通りにいつもの客」

 私も夏と言えば、冷奴だ。大方の皆さんも好きな食べ物だろう。まずこれを注文して酒を飲む。暑さにやられて緩んだ体がシャキッとしてくるはずだ。

 昭和63年の句。

 「冷奴歎きの酒もありぬべし」

 真砂女さんの句には別に湯豆腐の句があり、そこでは「湯豆腐や男の歎ききくことも」と詠われる。豆腐には、人の痛んだ心に入り込んで優しく気持ちをほぐすという効能がありそうだ。

 平成元年の作で、ハワイで行われた孫の結婚式から戻ってきたときの句。

 「帰国してその夜の卓の冷奴」

 日本に戻ってくると、やれやれと冷奴が食べたくなるんだね。

 平成元年にもう一句。

 「八丁堀より配達の新豆腐」

 豆腐屋さんは、銀座や日本橋などに今どのくらい残っているだろう。八丁堀は銀座から近いと言えば近いが、わざわざという感じもする。自転車でも大丈夫な距離ではある。

 平成2年の句。

 「冷奴藍の器に叶ひけり」

 キリリとした紺浴衣姿の真砂女さんに「どうぞ」と出された冷奴は、藍の器に盛られていた。豆腐の白さが際立って旨そうだ。暑さが吹っ飛ぶね。

 そして、暑さが吹っ飛ぶと言えば、平成7年以降に作られたこの句で決まり。

 「何ごとも半端は嫌ひ冷奴」

 潔い生き方をされた真砂女さんらしい一句だ。スカッとしているじゃぁありませんか。 

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築地場外魚河岸の今

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 アガパンサスの花。愛の花とも。
 形の良い細長い葉っぱの流れが印象的。
 花言葉は「恋の訪れ」「ラブレター」など。ちょうど今が盛りか。
 
 「白玉や愛す人にも嘘ついて」(昭和44年 鈴木真砂女
 冷えた白玉ぜんざいを口に運んだ時、ちょうど恋人からの電話。でもちょっとこれを食べ終わってからと思ったので、「今手が離せないの、あとで折り返すね。」と返事をして電話を切った…というような状況だったのでは。
 梅雨明けが待ち遠しくなってきた先日、築地に行ってみた。
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(築地4丁目交差点)
  築地市場が、豊洲に移転してから二度目だった。前回は土曜日だったからか、その人の多さにあきれるほどですぐに帰った。
 この日は、がらがらで外国人観光客の姿が目立つ程度。
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 これはまだ移転前の場内の様子で、箱を背負って歩く仲買人さんや荷を積んだターレが颯爽と場内を走っている。
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 現在の場外の様子。午後5時に近いので、店じまいしたところが多い。
「買い出しの日の夏帯を小さく結び」(昭和43年 真砂女)
 真砂女さんが、買い出しに行った店が残ってないだろうかと探した。野菜や果物を売っていたつまやの藤本商店、鮪仲卸のヨモ七である。
 当時のヨモ七の社長のお母さんでとみ女さんという方は、真砂女さんの俳句仲間だったそうである。昭和43年というと、真砂女さんは62才。
 ぐるぐる細い通りまで歩き回ったが、二つの店とも見つからなかった。豊洲に移転したのかも知れないし、廃業したのかも知れない。ずいぶん時代は変わったから。
 しかし、静かに変わらないものもある。
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 波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)である。創建は1659年(万治年間)。当時築地の埋め立て工事が行われていた。社殿を建て海で発見されたご神体を祀ったところ、荒波は収まり工事が順調に進捗したという。
 航海安全、災難除け、厄除けなどで信仰を集める神社。こじんまりとした境内に入ると、社殿などの他、玉子塚、すし塚、海老塚、鮟鱇塚、活魚塚、昆布塚、蛤石やおきつね様が祭られている。 
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  「波除にねずみかくるゝ土用かな」(昭和31年真砂女)
 あの牛丼の吉野家の塚もあり、真砂女さんが訪れていた頃より、だいぶ塚の数は増えたのではないか。
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 「築地宮川土用丑の日迎へけり」  (昭和57年真砂女) 
 家族連れらしい外国人観光客が、塚の前で体を休めるように座り込んでいた。
 玉子塚、昆布塚やおきつね様などは、外国人には思い及ばない日本独特の光景だろう。
 真砂女さんが生きた時代から、築地は大きく変貌した。しかし大切なものは今も息づきこの地に続いているのを見た。
 大切なもの、それは伝統。日本人の心の底に流れ引き継がれてきた、自然への「畏敬」という気持ちだ。 
令和元年7月20日 紅の豚次郎拝 

懐かしの温泉

「遠きとほき山ほど眠る容して」 (昭和45年鈴木真砂女
 この句は、真砂女さんが愛知県犬山市で開催された春燈犬山勉強会で発表したものです。真砂女さんの詠んだ山はアルプスだったのか、どこの山か知りませんが、今年(平成30年5月)私が神奈川県の宮ケ瀬湖から大山(1252m)を望んだ風景も、この句の雰囲気を表しているようです。もっとも宮ケ瀬から大山は遠き遠きと言うほど離れていません。
 お隣さんぐらいの感じです。
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 ところで私は、平成20年8月から毎年夏休みを利用して、北九州市小倉にある妻の実家まで車で帰省しておりました。神奈川県から片道1,000㌔ちょっと、長距離ですが、なかなか楽しいものでした。
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 この写真は阿蘇の南側に位置する垂玉温泉です。平成23年からは2年連続で熊本まで足を延ばして、若い時からの思い出の温泉地である垂玉温泉山口旅館に宿泊しました。義母や妻の姉妹、私の孫まで連れて行って大いに温泉を楽しみました。
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 しかし、私の大好きな阿蘇の垂玉温泉は、この10年ぐらいの間に水害で何回か温泉を破壊されるなどかなり損害を出しました。そして2年前の集中豪雨で地獄温泉ともども壊滅的な被害にあってまだ復興途中です。 
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 かつての本館です。 
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 旅館から少し歩いたところに野天風呂がありました。ずっと浸かっていたくなるとても気持ちの良いお湯でした。
 阿蘇五岳一岳冬も眠られず」(昭和45年鈴木真砂女
 決して自然は眠っているわけではないのですね。いつまでも変わらないようでいて、世の中は目に見えないところでかすかに動いている。
 人生もそうなんでしょうね。
 この数年各地で痛ましい災害が続いております。
 被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。
 平穏な日常が早く戻ってまいりますように。

ジオサイト中木へ(6)

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 「しぐるるや切られて白き蛸の肌」(中木にて 昭和44年 真砂女
 真砂女さんは、中木のどこが気に入ったのかな。
 最初は、誰かに石廊崎の奥に中木というところがあって、おいしい料理が食べられるよと教えてもらったのがきっかけだろうか。
 朝、漁業組合の放送が入り「今日の10時から鮑とサザエの漁を行います」とアナウンスが流れた。おや、一日遅く来たら鮑が食べられたのかな?
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 「とこぶしと鮑とならべ春の風」 昭和32年 真砂女)
 伊勢海老漁は10月頃からか。
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 夕食の味噌汁に入っていた亀の手(藤壺も入っていた)。美味しい出汁がでる。身も案外詰まっていた。形は、柱状節理に似ている。何ともジオサイトらしい。
 食べ物の他にはやはり人情だろう。都会にはない、分け隔てのない人懐こさ。誰でも受け入れてくれるような、故郷へ帰ってきたような郷愁。
 民宿上根の居心地のよさ。それは他の民宿にも、今も引き継がれているだろう。
 殿羽根の女将さんが、夏休み中はものすごく混雑すると言っていた。この期間ヒリゾ浜を訪れる人が非常に多いそうだ。おすすめは9月の中旬以降。その頃には静かな中木が戻っているのだろう。
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 最近伊豆がジオパークに認定されたように、ダイナミックな奇岩の景色も魅力的だ。「ジオサイト」の言葉は、「伊豆の山歩き海歩き」というトレッキングガイドブックに出ていた言葉だ。 
 人間の営みなど地球の歴史からみれば、一瞬の風でさえもないのか。ふとそんな思いが頭をかすめた。
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 「夏帯や運切りひらき切りひらき」昭和32年 真砂女)
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 美味しい朝食を食べて満腹だ。
 今日も真砂女さんのように、たくましく潔く生きていこう!
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