紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

海の向こうにハワイが見える(3)

同室となった新入社員は、二人。私と同じ中央大学のS君と、S大学のS君だ。学部はそれぞれ違うけれど、なんだか心強く感じたものだ。 そして翌日、初出勤日。松林の中にある寮を出て、ホテルへ向かう。 ホテルは、海のそばに建っている。従業員の出入り口は、…

海の向こうにハワイが見える(2)

「来てみれば花野の果ては海なりし」(鈴木真砂女) 1979年の2月に安房鴨川に着いた。 フェリーに乗って千葉県に渡り、外房線の金谷駅前から安房鴨川行のバスに乗った。東京湾を右に見て、菱川師宣記念館のある保田から、県道34号線に入り、鴨川へ向かう道を…

海の向こうにハワイが見える ⑴

「はたた神栄螺は蓋を閉ざしけり」 (昭和56年 真砂女) はたた神を漢字で書くと、「霹靂神」となる。晴天の霹靂(へきれき)という言葉の霹靂という字である。 はたたは、激しい雷鳴を意味する。そこら中、周囲を打ち鳴らすほどの凄まじい雷をいうようだ。 …

真砂女さんの食べ物の句      (サザエの巻1)

2017年にブログを書き始めた。 当初は、真砂女さんの俳句を分類していきたかったのに、仕事など忙しくしているうちにだいぶ脱線してしまいました。本当は、関係ないようなところは「豚次郎の隅っこ日記」に引っ越しするべきなのでしょうが、難しそうなので、…

バスを待つ間に

「バスを待つこの道春に続く道」 (岩崎あや) 葉山から横須賀へ向かう海沿いの道、国道134号線。富士山も見え、楽しいドライブコースだ。長者ヶ崎や秋谷(あきや)の立石(たていし)など、海を満喫できる景勝地がある。 葉山御用邸前から長者ヶ崎を過ぎる…

引き出しから出てきたものは

「ふところに手紙かくして日向ぼこ」 (昭和30年鈴木真砂女) 実家の解体工事をすることにした。 昭和40年に建てられた築56年の木造平屋の建物。住む人もいなくなり、床はべこべこになってしまった。 庭には、鈴なりの実をつけた夏蜜柑の木がある。はじめは…

浮気の代償②

「夫を捨て家捨てて鯵叩きけり」 (平成7年鈴木真砂女) 豆電球が灯る薄暗がりの部屋に、膝頭をそろえ三つ指をついた母が頭を下げしばらく動かなかった。私は、ぼんやりと母の膝を見ていた。母は泣いているようだった。 何が起きているのか理解が出来なかっ…

浮気の代償①

「羅(うすもの)や人悲します恋をして」 (昭和29年鈴木真砂女) 黄色の薔薇が咲き始めた。その花言葉は「嫉妬」。 久しぶりに会ったS君は、やや元気がなさそうに見えた。いつも快活な男だ。彼は、テーブルに写真を並べた。 「どう思います?」。 一枚の写…

久しぶりの休日は寝転んで

「シクラメン人を恋ふ夜の眉蒼し」(昭和41年「夏帯」鈴木真砂女) 人手不足で仕事が忙しく、2週間休みなしで働いた。 前期高齢者には、当初どうなることかと不安があったが、足腰の張りを覚えた程度で乗り切った。それでもようやくという感じであり、やはり…

残暑を乗り切る

立秋はとっくに過ぎて、俳句の季語も秋に変わっているものの、暑さは続く。 この暑さの中、飼っている白目高は、親が二匹とも死んでしまった。最初に餌を食べなくなったメスが死に、それから一月も経たないうちにオスが死んだ。しかし子供たちは元気一杯。20…

築地場外魚河岸の今

アガパンサスの花。愛の花とも。 形の良い細長い葉っぱの流れが印象的。 花言葉は「恋の訪れ」「ラブレター」など。ちょうど今が盛りか。 「白玉や愛す人にも嘘ついて」(昭和44年 鈴木真砂女) 冷えた白玉ぜんざいを口に運んだ時、ちょうど恋人からの電話。…

懐かしの温泉

「遠きとほき山ほど眠る容して」 (昭和45年鈴木真砂女) この句は、真砂女さんが愛知県犬山市で開催された春燈犬山勉強会で発表したものです。真砂女さんの詠んだ山はアルプスだったのか、どこの山か知りませんが、今年(平成30年5月)私が神奈川県の宮ケ瀬…

ジオサイト中木へ(6)

「しぐるるや切られて白き蛸の肌」(中木にて 昭和44年 真砂女) 真砂女さんは、中木のどこが気に入ったのかな。 最初は、誰かに石廊崎の奥に中木というところがあって、おいしい料理が食べられるよと教えてもらったのがきっかけだろうか。 朝、漁業組合の放…

ジオサイト中木へ(5)

そうかー 真砂女さんはその人の襟足に惚れちゃったんだね。 卯波に来る長年の常連さんから「どうしてあんなつまらない男に惚れたんだ。」と口癖のように言われたそうだ。つまる、つまらないは私のみのことと返事していたようだが、確かに恋というものはそん…

ジオサイト中木へ(4)

中木港にある柱状節理の岩山。美しい紋様を描いている。 昨年の台風で防波堤に至る通路の橋が二か所とも流されて、復旧されていない。トガイ浜にも行けないが、この夏ごろには通れるようになるらしい。 さてFTさんは「家に行きましょう」と、私達を案内する…

ジオサイト中木へ(3)

※あいあい岬にある「南伊豆ジオパークビジターセンター」(0558-65-1155)では、伊豆半島の成り立ちを説明してくれる。ジオ菓子なども販売しており、土産物として面白い。 あいあい岬から眺める奥石廊崎。よく撮影される場所だ。この右奥にこれから訪れる中…

ジオサイト中木へ(2)

安房鴨川の前原海岸と同じく、弓ヶ浜は日本の渚百選に登録されているが、二つの砂浜は性格が全く異なるようだ。 真砂女さんは、前原海岸は魂の原点と言えるほど愛しんだけれど、この弓ヶ浜も同様に魂のふるさと、休息の地だったろう。包み込まれるような、内…

ジオサイト中木へ(1)

今回の旅のお供は、妻とハーレースポーツスターXL883L(通称パパサン)。これには丸8年乗って無事故。1年前のスピード違反1回のみ。白バイさん捕まえてくれて有り難うございました。愛車の姿をご紹介します。 さて行き先は、真砂女さんが幾度となく泊まっ…

銀座の桜、銀座の柳(2)

昼間でも暗い銀座八丁目の狭~い路地を抜けると、(今は昔です)たまに飲みに行っていたバーの入っているビルがあった。 バーは看板が出ているので今も何とかやっているようだが、西側と北側のビルは解体作業が進んでいる。ここも風前の何とかではないか。 …

銀座の桜、銀座の柳(1)

今年(平成30年)は桜の開花が早く、気が気でなかった。 4月9日、やっと銀座の八重桜を観に行くことができた。 「銀座に生きる」に次のような話が書かれている。 『店から歩いて一分、お稲荷さんの角を右に折れて三十メートルの所に高速道路があり、その両…

鴨川から仁右衛門島へ(3)

「人のそしり知っての春の愁いかな」(昭和29年真砂女) 昭和29年は、真砂女さんの句風が転換していった年という。中村苑子さんや成瀬櫻桃子さんによると「情感」、「潤い」、「内省」という傾向が顕著になってきた年と言う。 さて、仁右衛門島。 何かと魅力…

鴨川から仁右衛門島へ(2)

のどかな漁村の道だった。 暖かな空気の中、仁右衛門島(にえもんじま)に向かって歩いていると、浜にはたくさんの漁網が干されていた。 「海老、鮑生簀を異(こと)に花ぐもり」(昭和46年真砂女) 渡船場の杭に生簀籠がつながれて波間にゆれ浮かんでいたと…

鴨川から仁右衛門島へ

「かねて欲しき帯の買へたり鳥雲に」(昭和29年真砂女) 真砂女さんの俳句の原点は、故郷の安房鴨川にあるだろう。この地を再確認しておきたいと思った。 鴨川駅前。午前9時。あまり人通りがない。 「口きいてくれず冬濤(ふゆなみ)見てばかり」 (昭和29年…

卯波引いた道(3)

朝の6時23分東京浜松町バスセンターを、安房鴨川行き高速バス「アクシー号」は出発した。1月中旬のことで空はまだ暗かった。 走り始めて2時間半、バスは安房鴨川駅西口に到着。太陽がまぶしかった。気温は1℃。 駅前の通りを旧吉田屋の方に歩いて行く途中に蛇…

卯波 引いた道(2)

東京都中央区銀座一丁目5-14 は、かつて「卯波」の所在地であった。 この地に、昭和32年(1957)3月30日50歳の真砂女さんは小料理「卯波」を開店させた。 真砂女さんは、藍より紺が似合う。 紺の着物は真砂女さんのユニフォーム。きりっと背筋が伸びた立ち…

卯波引いた道(1)

朝の銀座4丁目バス停。 築地で買い出しを済ませた真砂女さんは、ここでバスを降り、いつものように店の方に歩いて行った。 松屋の前にさしかかる。 紙袋には烏賊が十杯。ところが水気と重さで紙が破け新鮮な烏賊が 「ゾロリ」と舗道にばら撒かれてしまった。…

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ブログの題名『「真砂女」の俳句旅』は、俳人であり、東京銀座で長く繁盛した小料理「卯波」(うなみ)の女将、鈴木真砂女さんの随筆「銀座に生きる」(角川文庫)を基にしたものです。 私が持っているのは、平成10年11月初版の文庫本。 この本は、千葉県房…