浮気の代償①
「羅(うすもの)や人悲します恋をして」 (昭和29年鈴木真砂女)
黄色の薔薇が咲き始めた。その花言葉は「嫉妬」。
久しぶりに会ったS君は、やや元気がなさそうに見えた。いつも快活な男だ。彼は、テーブルに写真を並べた。
「どう思います?」。
一枚の写真は、誕生日ケーキを前に頬を男の方に傾け体を寄せ合って、微笑む女性の姿。その横には同じように女性の方に体を傾けて満足げににっこりする男の姿。
それは仲の良い夫婦が妻の誕生日を祝う記念写真のようだった。
しかし、幸せそうに微笑む女性はS君の奥様で、横にいる男性は奥様の妹の御主人だった。
私はその写真を観て、この二人はデキてるなと、直感的に思ったのだが、それはS君を前にとても言えなかった。
「羅や細腰にして不逞なり」 (昭和31年鈴木真砂女)
「それで女房にこの写真のことを聞いてみました。
彼女が言うには、彼には特別何の感情もなく、ケーキを買ってもらいお祝いしてくれたので記念に撮った。周りに人もいたし。
でも、私の不注意だったかもと言うのです。」
「しかし、どうやったらこんな親密な写真を撮ることが出来るんでしょうか。仮に私が女房の妹さんとツーショットの写真を撮っても、いくら親しいとは言えこんな寄り添った写真は撮りませんよ。」と、S君は無念そうに続けた。
「君は仕事があったので、奥さんの誕生祝いをすることが出来なかったと言うが、電話やメールでおめでとう位は伝えたのか?
結婚前はどんなに忙しくても、時間を作ってお祝いしていただろう?」
「白粉花やをんなはときに二タごゝろ」 (昭和43年鈴木真砂女)
「奥さんを大事にしないと、他の男に持って行かれるぞ。君がいなくて、奥さんはきっと寂しかったんだよ。」
S君を見送りながら散歩していると、空き地にシロツメクサが咲いていた。
花言葉は一般的には「think of me(私を思って)」「幸せ、約束」だが、「復讐」という言葉もある。
「白桃に人刺すごとく刃を入れて」 (昭和40年鈴木真砂女)
S君は、人を刺したいという衝動にかられただろうか。
最初奥さんは、妹の夫という気安さから気の置けない友達のように付き合っていて、本当に恋心などなかったのかも知れない。
しかし彼は、妹の夫というだけで血の繋がった兄弟という訳ではない。結局他人である。
そこには越えてはならない一線、距離感があるはず。親しき中にも礼儀あり。
他人がそれをわきまえずに家族や夫婦間で認められる「密接距離(※)」に入り込むと、恨みを買うことになる。
(※)アメリカの文化人類学者ホールが用いた「ソーシャルディスタンス」、訳して「社会距離」。人と人が接触する時の距離の取り方を分類したもの。①密接距離は、0~45㌢程度で家族や恋人など最も親密な間柄でみられ、身体接触が可能な距離。②個体距離は、45㌢~120㌢程度で親友との立ち話で握手が出来る距離。③社会距離は、120㌢~360㌢程度で上司やビジネスの場での距離で手を伸ばしても相手に届かない。④公衆距離は、360㌢程度以上で講演会での話者と聴衆など公の場で取られる距離。以上4形態。この解説文は、2020年5月15日付産経新聞掲載清湖口敏氏執筆の記事「言葉のひと解きー社会的距離」より抜粋しました。
久しぶりの休日は寝転んで
「シクラメン人を恋ふ夜の眉蒼し」(昭和41年「夏帯」鈴木真砂女)
人手不足で仕事が忙しく、2週間休みなしで働いた。
前期高齢者には、当初どうなることかと不安があったが、足腰の張りを覚えた程度で乗り切った。それでもようやくという感じであり、やはり1週間に2日は休みたい。
軽い肉体労働であっても、疲れがたまると気持ちにゆとりがなくなる。焦る。これが事故の元になる。ちょっとしたことにイライラする。
世の中には、イライラした人がたくさんいる。なかなか休めない人が多いのだろうか。不満の塊が歩いているようなものだが、他人に当たらないでもらいたいものだ。
家のベランダに置いたシクラメン(春の季語)の小さな花を見て、ホッと一息つく。 花言葉は、「憧れ」「内気」「はにかみ」。
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令和元年11月3日 紅の豚次郎拝
残暑を乗り切る
立秋はとっくに過ぎて、俳句の季語も秋に変わっているものの、暑さは続く。
この暑さの中、飼っている白目高は、親が二匹とも死んでしまった。最初に餌を食べなくなったメスが死に、それから一月も経たないうちにオスが死んだ。しかし子供たちは元気一杯。20数匹の子目高はピッピッ、ピッピッと、火鉢や備前焼の鉢の中を泳いでいる。
さて、真砂女さんの句に夏の食べ物、冷奴を詠んだものがいくつあるか数えてみたら、六句あるようだ。それを今回はご紹介したい。
まず昭和55年の句。
「冷奴いつも通りにいつもの客」
私も夏と言えば、冷奴だ。大方の皆さんも好きな食べ物だろう。まずこれを注文して酒を飲む。暑さにやられて緩んだ体がシャキッとしてくるはずだ。
昭和63年の句。
「冷奴歎きの酒もありぬべし」
真砂女さんの句には別に湯豆腐の句があり、そこでは「湯豆腐や男の歎ききくことも」と詠われる。豆腐には、人の痛んだ心に入り込んで優しく気持ちをほぐすという効能がありそうだ。
平成元年の作で、ハワイで行われた孫の結婚式から戻ってきたときの句。
「帰国してその夜の卓の冷奴」
日本に戻ってくると、やれやれと冷奴が食べたくなるんだね。
平成元年にもう一句。
「八丁堀より配達の新豆腐」
豆腐屋さんは、銀座や日本橋などに今どのくらい残っているだろう。八丁堀は銀座から近いと言えば近いが、わざわざという感じもする。自転車でも大丈夫な距離ではある。
平成2年の句。
「冷奴藍の器に叶ひけり」
キリリとした紺浴衣姿の真砂女さんに「どうぞ」と出された冷奴は、藍の器に盛られていた。豆腐の白さが際立って旨そうだ。暑さが吹っ飛ぶね。
そして、暑さが吹っ飛ぶと言えば、平成7年以降に作られたこの句で決まり。
「何ごとも半端は嫌ひ冷奴」
潔い生き方をされた真砂女さんらしい一句だ。スカッとしているじゃぁありませんか。
築地場外魚河岸の今
懐かしの温泉