紅の豚次郎「真砂女」の俳句旅

俳人鈴木真砂女の「銀座に生きる」をたずねて

鴨川から仁右衛門島へ(2)

  のどかな漁村の道だった。
 暖かな空気の中、仁右衛門島(にえもんじま)に向かって歩いていると、浜にはたくさんの漁網が干されていた。
 「海老、鮑生簀を異(こと)に花ぐもり」(昭和46年真砂女)
 船場の杭に生簀籠がつながれて波間にゆれ浮かんでいたというが、今は見られない。
 「生簀籠波間に浮ける遅日かな」(昭和24年真砂女)
 真砂女さんは、元日には必ず仁右衛門島の弁財天に初詣に行っていたそうだ。子供のころから遊び慣れた島。
 忙しい時は、三艘の舟が次々に島へ人を運んでいたというが、今日客らしき人は私を入れて三人。
 艪を使う人は艫と舳先の二人。
 「二挺艪の汐切りさばく冬日かな」(昭和40年真砂女)
 島は目と鼻の先だが、流れは速いのだろう。
 舟の縁から波の底を眺めていると…
 「流れ藻のわが舟外るゝ小春かな」(昭和40年真砂女)              
 こんな自然な感じの句が好きだなあ。
 さて、仁右衛門島は、俳句の島である。
 島内には8名の俳人の句碑が建てられている。水原秋櫻子、富安風生、岡本眸、小出秋光、小枝秀穂女(ここまで建立順)。続いて源講修(歌碑)、芭蕉、そして真砂女さん。
 真砂女さんの句碑は、平野家の裏木戸を出たところ、北向きに小ぢんまりと建っていた。
 出てきた人に、ちょこんとお辞儀をしているようでつつましやか。石は根府川石。
 
 「あるときは船より高き卯浪かな」(昭和26年真砂女)
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 『小舟が一つ波にあやつられうねりの陰に見えなくなったかと思うと再び姿を見せる。人生も波の山から奈落へ。そして再び浮かび上る。』 (「銀座に生きる」より)
 句碑の前には生まれ故郷鴨川の海。
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